心がさまよっている時間、人は幸福度が下がっている
マインドワンダリングと幸福度
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一言でいうと
スマホアプリで、何千人もの人に、一日のランダムなタイミングで「今何をしているか」「今の気分は」「今、していること以外を考えているか」を尋ねた。人は起きている時間の約47%、目の前のこと以外を考えていた。そして、心がさまよっているとき、人は概して幸福度が低かった——たとえ、さまよった先が楽しい考えであっても。
論文が実際に言っていること
この研究の新しさは、方法にある。実験室ではなく、日常生活の中で、リアルタイムに心の状態を測った。専用アプリを使い、参加者の一日の無作為な瞬間に通知を送り、その場で3つを聞く。「今、何をしているか」「どれくらい幸せか」「今していること以外のことを考えているか(考えているなら、それは快・中立・不快か)」。数千人・数十万件のデータが集まった。
主な発見は2つだ。
第一に、心のさまよい(マインドワンダリング)は、例外ではなく常態だった。人は、活動の種類を問わず、起きている時間のおよそ半分、目の前の課題とは別のことを考えていた。
第二に、そしてこれが核心だが、心がさまよっているときは、目の前のことに集中しているときより、幸福度が低かった。しかも、さまよった先が楽しい内容であってさえ、集中しているときより幸福度が高くなることはなかった。中立や不快な内容へのさまよいは、はっきり幸福度を下げた。
時間的な分析から、著者らは、退屈だからさまようのではなく、さまようこと自体が不幸の側に効いている可能性を示唆した。何をしているかより、心がそこに在るかどうかが、その瞬間の幸福をよく予測した。
だから、どう生きるか
「今していることに、心が在るか」を、時々確かめる。
これがこの研究の芯だ。幸福を左右するのは、何をしているかだけではない。その活動に、心が実際に居合わせているかだ。食事をしながら別のことを考え、人と話しながら上の空で、休みながら仕事を憂う——そのとき、体は良い活動をしていても、心は幸福度の低い場所にいる。だから、今していることに注意を戻す、という単純な行為が、その瞬間の質を上げうる。
「楽しいことを考えて気を紛らす」が、必ずしも効かないと知る。
意外なのは、楽しい空想へのさまよいでさえ、目の前への集中に幸福で勝てなかった点だ。だから、退屈から逃れようと心を別へ飛ばすことは、思うほど幸福を生まない。むしろ、退屈な作業なら作業そのものに、休息なら休息そのものに、心を置くほうがよい。これは、何もしない時間に脳が内向きに働くことと矛盾しない——空白に休むことと、目の前を上の空で処理することは、別だ。
通知とAIは、心を「今」から引き剥がし続ける。
いまの文脈では、ここが効く。通知、次々に届くメッセージ、いつでも開けるAI——これらは、目の前の活動から注意を絶えず引き剥がし、心をさまよわせる引き金になる。この研究からすれば、それは幸福度の低い状態に、自分を頻繁に置くことでもある。深く味わいたい時間、大切な人との時間には、引き剥がす装置を物理的に遠ざけ、心を今に留める余地を作る。
ここからは僕の飛躍だ
これは相関研究であり、因果は完全には確定していない。心がさまようから不幸なのか、不幸だからさまようのかを、この方法だけで切り分けるのは難しい(著者らは時間差の分析で前者を示唆したが、断定ではない)。文化差や個人差もある。
「通知が幸福度を下げる」は、この知見を今の環境に延ばした僕の解釈で、2010年のこの論文が直接示したことではない。マインドワンダリングには、計画や創造性など有用な面もあり、常に悪だと言う研究ではない。
それでも、人は時間の半分心をさまよわせ、そのとき幸福度が下がりがちだ、という中核は、大規模な日常データで示された、示唆に富む発見だ。何をするかだけでなく、そこに心を置けているかに注意を向けること。それがこの一本の使いどころだと思う。
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