あなたが見ている世界は、脳の「予想」でできている
予測処理(predictive processing)と脳
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一言でいうと
脳は、外界の情報を受け身で受け取っているのではない。絶えず「次に何が来るか」を予測し、実際の入力とのズレ(予測誤差)だけを上に伝える。だから、私たちが見て、聞いて、感じている世界は、外界そのものではなく、脳が立てた予想を、誤差で微修正したものである。
論文が実際に言っていること
「予測処理(predictive processing)」という考え方を、認知科学全体の枠組みとして提示した総説的な論文だ。中心にあるのは、脳を「予測する機械」とみなす見方である。
従来の素朴なイメージでは、感覚器から情報が入り、脳がそれを処理して、知覚が生まれる——ボトムアップの流れだ。予測処理は、これをほぼ逆転させる。脳の上位の階層が、下位に向かって「次はこうなるはずだ」という予測を絶えず送る。下位では、その予測と、実際に届いた感覚入力を照らし合わせる。一致すれば、それ以上は伝えない。ズレたぶん——予測誤差——だけが、上へ送られ、予測を修正する。
つまり、大部分の感覚入力は、予測で「説明され尽くして」いて、意識にすら上らない。上がってくるのは、予想を裏切った差分だけだ。知覚とは、脳の予測(事前の期待、経験)と、感覚からの誤差信号とが、せめぎ合ってたどり着く「最良の推測」である。
この枠組みは、知覚だけでなく、注意(どの誤差を重視するかの調整)、学習(予測モデルの更新)、さらには行動(予測どおりの状態を作りにいくこと)まで、一つの原理で説明しようとする。私たちは、世界をそのまま見ているのではなく、脳が生成した仮説を、現実で答え合わせしながら生きている。
だから、どう生きるか
「見えている」を、事実そのものと同一視しない。
これがこの枠組みの芯だ。知覚が予測と誤差の合成物なら、私たちが見て感じているものには、必ず「自分の予想」が織り込まれている。同じ場面を見ても、期待や先入観が違えば、見えるものが変わる。だから、「自分は事実をありのままに見ている」という感覚は、そもそも脳の仕組みに反している。強く「こう見えた」と感じたときほど、その一部は自分の予測だ、と割り引く。
先入観を変えると、見えるものが変わる。
見え方が予測に依存するなら、予測(事前の期待)を意識的に変えることには意味がある。ある人を「敵だ」と予測して見れば、その人の中立的な行動すら敵意の証拠に見える。逆に、期待を保留して構えると、同じ入力から別のものが立ち上がる。何を見たいかではなく、どんな予測で臨むかを点検する。これは、探しているものしか見えないという現象とも地続きだ。
AIの出力を、自分の予測を裏切らせる装置として使う。
いまの文脈では、こう使える。脳が学ぶのは、予測が外れたときだけだ——ドーパミンが予測誤差を伝えるのと同じ原理が、ここでは知覚全体に広がる。ところがAIは、こちらの予想に沿った、なめらかな答えを返しがちで、そうなると予測誤差が立たず、世界の見え方は更新されない。だから、AIには「私が見落としている前提は何か」「反対の見方は」と、あえて予測を裏切らせる問いを投げる。誤差を作ることが、モデルを更新する唯一の入口だ。
ここからは僕の飛躍だ
これは一つの理論的枠組みであり、脳のすべてがこの原理で動くと確定したわけではない。予測処理には批判も、未解決の問題も多く、どこまでを説明できるかは今も議論の最中だ。
「AIに予測を裏切らせろ」「先入観を変えろ」は、この枠組みから僕が引いた実践で、2013年のこの論文が生活術として述べていることではない。
それでも、脳が予測を立て、誤差だけを処理している、知覚は外界の写しでなく最良の推測だ、という中核は、現代の認知神経科学で大きな影響力を持つ見方だ。自分の「見えている」に、自分の予想がどれだけ混ざっているかを疑うこと。それがこの一本の使いどころだと思う。
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