授業中のノートPCは、本人だけでなく隣の人の成績も下げる
授業中のノートPCとマルチタスク
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一言でいうと
講義中にノートPCで無関係な作業(ネット閲覧など)をした学生は、直後のテストの成績が下がった。それだけではない。その画面が視界に入る、隣の席の学生まで、成績が下がった。マルチタスクの害は、本人に閉じず、周りにこぼれる。
論文が実際に言っていること
2つの実験からなる。
一つめ。学生が講義を受ける。半分には、講義中に、指示された調べ物などの「マルチタスク」を、ノートPCでやってもらう。もう半分は、講義に集中する。講義後、内容の理解度をテストする。結果、マルチタスクをした群は、集中した群より成績が低かった。ノートを取りながらネットもやる、という並行作業は、理解を確かに損なった。
二つめが、この研究のよく知られた点だ。実際の講義に近い状況を作り、一部の学生(サクラ)に、講義中、ノートPCで無関係な作業をさせる。そして、他の学生を、その画面が見える席と、見えない席に配置する。全員は真面目に講義を受けている。
すると、マルチタスクをする学生の画面が視界に入る席の学生は、見えない席の学生より、テストの成績が下がった。自分は集中していたのに、隣で動く画面が注意を奪い、理解を妨げた。マルチタスクをする一人が、周囲の学習環境まで悪化させていた。
これは、注意が限られた資源をめぐる競争であること、そして動く視覚刺激が、目標と無関係でも競争に勝ちやすいことの、教室での現れだ。
だから、どう生きるか
学ぶ場では、並行作業を「効率的」と思わない。
これがこの研究の芯だ。講義や勉強の最中に、調べ物やメッセージを並行してこなすのは、時間を有効に使っているように感じる。だが実際には、理解が損なわれる。ノートを取りながら別のことをするのは、二つを同時にこなしているのではなく、両方の質を下げている。学ぶと決めた時間は、並行作業を持ち込まず、一つに絞る。これは、マルチタスクの習慣がある人ほど注意の制御が弱いという話とも重なる。
自分の集中が、周りの環境にも影響することを知る。
この研究の教訓は、個人にとどまらない。動く画面は、それが見える範囲の全員の注意を奪う。だから、集中したい共有空間では、自分がマルチタスクをしないことが、周りへの配慮にもなる。逆に、自分が集中したいなら、視界に動く画面が入らない席を選ぶ。注意の環境は、一人では完結しない。
AIツールを開いたままの学習は、常時マルチタスクになりうる。
いまの文脈では、こう延ばせる。学びながらAIをいつでも呼べる状態は、便利な反面、常に「別の窓」が視界と手の届く範囲にある状態でもある。動く通知、開いたチャット、次々に生成される候補——これらは、この研究の「見える画面」と同じく、注意の競争に割り込む。深く理解したい時間は、AIも含めて、並行して動くものを視界から外す。使うなら、集中する時間と、AIに問う時間を、分ける。
ここからは僕の飛躍だ
この研究は、大学の講義という特定の場面で行われた。効果の大きさや、あらゆる学習・作業への一般化には慎重さが要る。近年のマルチタスク研究には、条件による違いや再現性の議論もある。
「AIツールを開いたままは常時マルチタスク」は、この知見を今の道具に延ばした僕の解釈で、2013年のこの論文が述べていることではない。
それでも、学習中のマルチタスクが本人の理解を損ない、しかも視界に入る周囲の人まで巻き添えにする、という中核は、実践的で示唆に富む。学ぶ時間は並行作業を持ち込まず、動く画面を視界から外すこと。それがこの一本の使いどころだと思う。
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