創造性とは、遠く離れた考えを結びつける力だ
連想と創造性(遠隔連想)
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一言でいうと
創造的な発想とは、天から降ってくる閃きではなく、互いに遠く離れた要素どうしを、新しく有益な形で結びつけることだ、とメドニックは定義した。そして、その力を測るために、「3つの無関係な言葉に共通してつながる語を探す」という課題を考案した。創造性を、連想のネットワークの働きとして捉え直した。
論文が実際に言っていること
創造性を、神秘的な才能ではなく、連想(association)の観点から定義しようとした理論的な論文だ。メドニックの定義はこうだ。創造的な思考とは、「互いに関連の薄い要素を、新しい組み合わせにまとめ、それが有益であること」。組み合わせる要素が遠いほど、そして結果が役に立つほど、より創造的だ。
なぜ人によって創造性が違うのか。メドニックは、個人の連想の構造の違いに注目した。ある概念から、どんな語が、どんな強さで連想されるか。この連想の広がり方が、人によって違う。
彼は、二つのタイプを対比する。「急峻な(steep)」連想の階層を持つ人は、一つの語から、ごく少数の強い定番の連想がすぐ出るが、その先が続きにくい。一方、「平坦な(flat)」連想の階層を持つ人は、一つの語から、定番でない、遠い連想まで、幅広く出てくる。この平坦さが、遠い要素どうしを結ぶことを可能にし、創造性の土台になる、と考えた。
この理論を測るために作られたのが「遠隔連想テスト(RAT)」だ。たとえば「ネズミ・青・コテージ」の3語に共通してつながる語は?(答えは「チーズ」)。一見バラバラな語を橋渡しする語を見つける課題で、遠い連想を結ぶ力を測る。
だから、どう生きるか
創造性を、「才能の有無」でなく「結びつける作業」として捉える。
これがこの理論の芯だ。創造的な発想を、生まれつきの閃きだと思うと、自分には無いもの、と諦めてしまう。だがメドニックの定義に立てば、それは遠い要素を結びつける作業であり、意図的に取り組める。問題を、普段は関係ないと思っている別の分野の考えと、無理にでも並べてみる。異なる領域の知識を持っていること自体が、結びつける材料を増やす。創造性は、材料と、それを結ぶ試みの産物だ。
遠い連想が出やすい状態を、意図的に作る。
定番の強い連想ばかりが出る「急峻」な状態では、ありきたりな答えしか出ない。遠い連想が顔を出す「平坦」な状態を作るには、緊張を緩め、直接的な努力から一度離れるのが効く、という後の研究がある。行き詰まったら、机に向かって力むより、何もしない時間を挟む。散歩や単純作業の最中に遠い連想が結ばれる、という経験は、この構造で説明できる。
AIは連想を大量に出せる。だが「有益さ」の選別は人が握る。
いまの文脈では、こう使える。創造性の定義は「遠い要素を結ぶ」ことと「それが有益であること」の二つからなる。AIは、遠い連想や意外な組み合わせを、大量に生成できる。この点では強力な相棒だ。だが、生成された無数の組み合わせのうち、どれが本当に有益で、文脈に効くかを選び取ることは、その分野を理解している人にしかできない。AIに連想を広げさせ、選別と価値判断は自分が担う——この分業が、この定義に沿った使い方だ。
ここからは僕の飛躍だ
これは1962年の理論的な論文で、連想理論そのものや、遠隔連想テストが創造性の全体を測れるかについては、その後さまざまな批判と発展がある。創造性は連想だけで説明しきれるものではなく、専門知識、評価能力、動機など多くの要因が関わる。
「AIに連想を広げさせ選別は自分で」は、この定義から僕が引いた実践で、この論文が述べていることではない。
それでも、創造性を、無からの閃きでなく、遠く離れた要素を有益に結びつける力として捉える、という中核の定義は、創造性研究に長く影響を与えてきた。創造性を、取り組める作業として捉え直すこと。それがこの一本の使いどころだと思う。
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