人は最適を選ばない。「これで十分」で手を打つ
限定合理性と満足化
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一言でいうと
経済学は長く、人は全選択肢を見比べ、最も得な選択をする、と仮定してきた。だがサイモンは、人の情報処理能力には限界がある以上、それは不可能だと論じた。現実の人間は、最適を探し続けるのではなく、ある基準を満たすものが見つかったら、そこで決める。これを「満足化(satisficing)」と呼ぶ。
論文が実際に言っていること
後にノーベル経済学賞につながる、「限定合理性(bounded rationality)」の出発点となった論文だ。
古典的な合理的選択の理論は、決定者について、非現実的な前提を置いていた。すべての選択肢を知っている、それぞれの結果を完全に予測できる、そのすべてを比較して最大の効用を選ぶ計算能力がある——。だがサイモンは、現実の人間(や組織)は、こうした能力を持たないと指摘する。選択肢は無数にあり、未来は不確実で、頭の処理能力には限りがある。
だから人は、最適化(optimizing)ではなく、満足化(satisficing)をする。満足化とは、あらかじめ「これくらいなら十分」という基準(願望水準)を持ち、選択肢を順に検討して、その基準を満たすものが最初に見つかったら、探索をやめて決める、という戦略だ。全部を並べて最良を選ぶのではない。「十分に良い」で手を打つ。
サイモンは、これを人間の欠陥としてではなく、限られた資源のもとでの合理的な適応として描いた。処理能力に限界がある世界で、最適化にこだわり続けるのは、かえって非効率だ。満足化は、その制約への賢いやり方だ。
そして、この願望水準は固定ではなく、経験に応じて調整される。良い選択肢が簡単に見つかる環境では基準が上がり、見つかりにくい環境では下がる。
だから、どう生きるか
多くの決断で、「最適」を捨てて「十分」で手を打つ。
これがこの理論の実用的な芯だ。すべての選択肢を比べて最良を選ぼうとすることは、たいていの決断で、割に合わない。探索そのものにコストがかかり、その間、決められないまま時間が過ぎる。だから、決断の前に「これを満たせば十分」という基準を先に決め、それを満たすものが見つかったら、そこで探索をやめる。最良を追い続けるより、良い基準を設けて満足化するほうが、限られた資源をうまく使える。これは、選択肢が多すぎると選べなくなる問題への、具体的な対処でもある。
「最適化すべき決断」と「満足化でよい決断」を、分ける。
すべてを満足化せよ、という話ではない。人生を左右する少数の重要な決断には、時間をかけて探索する価値がある。だが、日々の大半の決断——何を買うか、どの店に入るか、どの案で進めるか——は、満足化で十分だ。重要度を見積もって、探索にかけるコストを配分する。すべてに最適化を求めると、限られた資源が枯れる。
AIは「最適化」を煽るが、多くは満足化でいい。
いまの文脈では、こう延ばせる。AIは、選択肢をいくらでも比較し、「もっと良い案」を提示できる。これは、あらゆる決断を最適化問題に見せてしまう。だが、探索を無限に続けられることと、そうすべきことは別だ。基準を満たす案が出たら、AIにさらに案を出させ続けるより、そこで決める。満足化の基準を自分で持っておくことが、無限の最適化に飲まれないための足場になる。
ここからは僕の飛躍だ
これは1955年の理論的な論文で、人間の意思決定の数理的なモデルだ。満足化がすべての場面で最適化に勝るわけではなく、どちらが適切かは状況による。願望水準をどう設定すべきかという難しい問題も残る。
「AIの最適化に飲まれるな」は、限定合理性の考え方から僕が引いた解釈で、この論文が述べていることではない。
それでも、人の合理性には資源の限界があり、現実の選択は最適化でなく満足化で動く、という中核は、意思決定研究と行動経済学の土台になった洞察だ。多くの決断で「十分に良い」で手を打ち、探索の資源を重要な決断に取っておくこと。それがこの一本の使いどころだと思う。
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